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東京高等裁判所 平成4年(う)785号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は弁護人内藤隆、同芳永克彦、同飯田正剛連名の控訴趣意書及び被告人両名連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官百瀬武雄作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一  事実誤認及び法令の適用の誤りの主張(弁護人らの控訴趣意第一点及び第二点)について

一  建造物侵入罪の成否(同控訴趣意第一点)について

1  所論は、以下のとおり主張する。すなわち、原判決は、被告人らが参議院西通用門において、それぞれ虚偽の氏名、住所を記載した公衆傍聴券を、その虚偽であることを秘して立番勤務中の衛視に提示した上、同門から同院に立ち入つた行為をとらえて、建造物侵入罪の成立を認め、その理由として、原判決は、傍聴希望者に対しては度重なる厳重な点検、検査が行われている事実に加えて、参議院傍聴規則一条二号が傍聴券への氏名等の記入を求めている趣旨は、主として、自ら身元を明らかにさせることによる心理的強制力によつて、傍聴人による議事妨害その他の院内秩序の侵害の防止を図ることにあると解されることに照らして、傍聴券に真実の氏名等を記載すべきことは自明の理というべきであり、参議院の管理者である参議院議長は、右規則一条二号により、傍聴券に真実の氏名、住所等を記載していない者の院内への立ち入りを許さない意思を外部に表明しているものといえるから、内容虚偽の傍聴券を携帯して参議院へ立ち入ることは、管理権者の意思に反する旨判示している、しかし、第一に、原判決が、傍聴券の記載内容について度重なる厳重な点検、検査が行われている旨判示している点は、事実に反する、西通用門から同院本館内地下一階の傍聴券点検所に至るまでは、傍聴券に所定事項が記載されているか否かについてさえ確認の機会がなく、しかも、その後の傍聴券点検所や三階傍聴席入口においても、傍聴券の記載内容の点検、検査は極めて形式的にしか行われておらず、このことは、本件の傍聴券には「渋谷区佐々木」という一見して直ちに虚偽と分かる住所が記載されていたのに、その点検、検査に当たつた職員の誰ひとり気がつかなかつた事実からも明らかである、第二に、傍聴券への氏名等の記入が、心理的強制力によつて院内秩序の侵害を防止する効果を持つという原判決の判示も独断にすぎない、院内秩序の侵害防止は危険物の持ち込みその他所持品の制限によつてこそその効果が期待できるのであつて、身分証明書等により記載内容の真偽を確認する手立てがない以上、住所、氏名、年齢の開示に心理的効果を期待することはできない、何よりも、原判決が言うように、参議院議長が傍聴希望者に対し、真実の住所、氏名、年齢を開示しなければ西通用門からの院内への立ち入りを許さないという意思を有しているのであれば、西通用門において必ず傍聴希望者に対し、傍聴券にこれらの事項を記載させ、しかも、それが真実に合致するよう心理的強制を働かせるような方法、例えば傍聴券を衛視が手に取つて、傍聴希望者に住所、氏名、年齢を答えさせて記載内容との相違の有無を検査するといつた方法が行われるはずであるのに、現状は、規則上も実際上も、傍聴受付窓口では傍聴券への記載は必要でなく、白紙のまま西通用門を通過することができ、西通用門において立番中の衛視は、傍聴券に記載されている内容の確認はもとより、記載の有無についてすら全く考慮を払つていないのであるから、このような現実を無視して管理権者の意思を認定することは明らかに誤つている、したがつて、被告人らの立ち入り行為が管理権者の意思に反するとして建造物侵入罪の成立を認めた点において、原判決は事実の認定を誤り、ひいては法令の適用を誤つたものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

2  しかし、原判決が挙示する関係証拠によれば、原判示第一の建造物侵入の事実を優に肯認することができ、原判決が、「争点に対する判断」において建造物侵入罪の成立を肯定した理由について説示するところは、当裁判所も正当として是認することができるから、原判決に所論の事実誤認及び法令の適用の誤りは認められない。以下、所論にかんがみ検討を加える。

所論は、西通用門では白紙の傍聴券でも入門が許される上、その後の傍聴券点検所や傍聴席入口における点検・確認はいずれも極めて形式的なものにすぎない、というのであるが、関係証拠によれば、原判決説示のとおり、参議院別館の傍聴受付窓口及び西通用門においても、傍聴券に住所、氏名、年齢が記入された場合は、その記載内容を職員が点検、確認し、記載のない傍聴券の所持者も西通用門を入つた後参議院本館地下一階の傍聴券点検所前の記帳台で必ず傍聴券に氏名等を記載した上、右点検所、その奥の傍聴券検査所及び本館三階の傍聴券入口において、そのつど衛視が傍聴券を手に取つてその記載内容に至るまで点検、確認している事実が認められる。このような状況に徴すると、傍聴券の点検、確認が極めて形式的にすぎないとの所論は首肯し難いばかりでなく、原判決説示のとおり、西通用門では傍聴券の氏名欄等が白紙のままでも入門を許すという取扱いも、その後前記の記帳台で真実の氏名等が記載されることをあくまで予定したものであつて、西通用門を入る際既に虚偽の氏名等が記載された傍聴券所持者の立ち入りまで許容するものでないことは、傍聴規則一条二号の趣旨から明らかというべきであるから、原判決が、このような状況に照らして、参議院の管理者である参議院議長が内容虚偽の傍聴券を携帯した傍聴人の立ち入りを容認していないことは明らかである旨判示している点は正当であつて、所論は採用することができない。

また、所論は、傍聴人には身分証明書の携帯が義務づけられておらず、傍聴券の記載内容の真実性を担保する手立てはないから、原判決が心理的強制力を根拠に傍聴規則は傍聴券に真実の氏名等を記載することを要求している旨判示したのは独断にすぎない、というのであるが、原判決説示のとおり、身分証明書の携帯が要求されていないことから、傍聴規則が必要に応じて衛視らが記載内容の確認を行うことを予定していないなどということはできないし、秩序維持の見地から制定された傍聴規則が、たまたま虚偽の氏名等を記載した傍聴券を発見した場合にもその立ち入りを許さざるを得ない事態を許容しているなどとは考えられないから、所論は採用することができない。

二  威力業務妨害罪の成否(同控訴趣意第二点)について

1  所論は、以下のとおり主張する。すなわち、原判決は、被告人らが、履いていた靴三個を参議院本会議場の演壇に向かつて投げつけた上、こもごも「侵略戦争反対」などと繰り返し大声で叫んだ行為が威力業務妨害に当たる旨認定し、その理由として、被告人らの靴を投げる行為は、靴の形状や材質、投げられた方向、現に到達した地点、投げられた靴の勢いなどを考慮すると、海部首相あるいは演壇付近にいた速記者らの職員や議員らを直撃し、場合によつてはこれらの者にけがを負わせるなどの可能性が十分にあつた危険な行為であること及び本件の一連の行為によつて、議場が一時騒然とした状態になり、現に議事妨害の結果が生じたことを挙げている、しかし、本件の靴はいわゆるスニーカーであつて、その形状や材質から見ると、人に当たつて傷害を与えるものとは考え難い上、本件では直接人体には当たつておらず、約二〇メートルの長い距離を飛ぶことによつてむしろ勢いを失つていたと考える方が合理的であるから、原判決がいうような危険性は全くなかつたと言える、また、被告人らの行為によつて、内閣総理大臣をはじめ、各議員、議事部職員など議場全体の業務活動の遂行が妨害された事実は認められず、ビデオテープや参議院会議録の記載によれば、むしろ、海部内閣総理大臣の答弁が引き続き行われ、各議員、議事部職員など議場全体の業務活動が通常どおり遂行されたことが明らかであるから、このような被告人らの行為は、いまだ人の意思を制圧するような勢力を行使したものとは言えない、これまで衆議院及び都議会では、ビラ撒き行為や不規則発言行為については、いずれも威力業務妨害に該当しないとの扱いであり、唯一の例外である爆竹爆発及びビラ撒きの事例もその危険性の点では本件と質的に異なるものである、以上のとおり、被告人らの本件行為は威力業務妨害罪の構成要件に該当しないから、その成立を認めた原判決は、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

2  しかし、原判決が挙示する関係証拠によれば、被告人らの具体的な言動、投げられたスニーカーの飛んだ方向、勢い、落下場所などの状況及びこれが答弁中の海部首相や議場内に及ぼした影響などについては、原判決が「争点に対する判断」第一の二「威力業務妨害罪の成否について」の項で認定、判示するとおりであることが認められ、これら被告人らの行為の危険性及び右被告人らの一連の行為が議場ないし議事に及ぼした影響などにかんがみ、被告人らの本件行為が人の意思を制圧するに足る勢力すなわち威力を用いたものと言えることは明らかであるとした原判決の認定、判断は、当裁判所も正当として是認することができるから、所論は採用することができない。

所論は、被告人らの行為によつて傷害が発生する危険性は全くなかつたとか、業務活動の遂行が妨害された事実はなく、その抽象的危険性すら発生していないなどと主張するけれども、前記の証拠関係に徴して採用することができない。

以上、原判決の事実誤認及び法令の適用の誤りを主張する所論は、いずれも失当であつて、論旨は理由がない。

第二  法令の解釈及び適用の誤りの主張(同控訴趣意第三点及び被告人らの控訴趣意)について

1  所論は、以下のとおり主張する。すなわち、原判決は、被告人らの本件行為が憲法保障行為として正当性を有するとの被告・弁護側の主張を抵抗権の主張であるとした上で、本件の場合は抵抗権の行使が認められる要件である〈1〉民主主義の基本秩序に対する重大な侵害が行われ、憲法の存在自体が否認されようとする場合であること、〈2〉右重大な侵害が誰の目から見ても一義的に明白であること、〈3〉憲法、法律によつて定められた一切の法的手段がもはや有効に目的を達する見込みがないほどの極限的な場合であること、のいずれについても本件当時そのような極限的状況は存在しなかつた旨判示している、しかし、右〈1〉の侵害の重大性について原判決は、本件当時の憲法をめぐる事態が、「民主主義の基本秩序に対する重大な侵害」ないし「憲法の存在自体が否認されようとする場合」に該当するか否かについては何ら事実上及び法律上の判断を示していない、本件当時、湾岸戦争を契機として憲法の基本原理の一つである平和主義が立法権力及び行政権力によつて破壊されようとしていたことは、その後のいわゆるPKO協力法の成立や自衛隊員のカンボジア派遣に至る経過に徴しても明らかであつて、原判決が自衛隊機の海外派遣や戦費の負担という形での戦争協力行為は、憲法が定立した民主主義の基本秩序に合致すると考えたのであれば、原判決には明らかな憲法解釈の誤りがあるというべきである、〈2〉の侵害の明白性について原判決が、「誰の目から見ても」一義的に明白であることを要するとしている点は、抵抗権行使の要件を曲解するものであつて、抵抗権は、国家権力が主観的には合法と判断した行為が、客観的には憲法秩序に反する場合に初めて成り立ち得る法理であるから、「誰の目から見ても」一義的に明白な場合に成り立つ法理ではない、原判決の論理によれば、抵抗権の行使は、国家権力自体もその権力行使の不法すなわち基本秩序の侵害を自覚しつつ、あえてこれを行う場合にしか許容されなくなるが、このような事態は予想されない、〈3〉の法的救済手段の不存在については原判決は、本件当時の国家権力による憲法破壊行為に対し、これを是正するための有効な法的手段を何ら示していない、わが国の法制度上そのような法的手段がそもそも一切存在しないことは明らかであり、その故にこそ被告人らは超憲法的憲法保障の手段である抵抗権を行使せざるを得なかつたものであつて、原判決の認定は法的判断とは言えない、したがつて、原判決の抵抗権行使の主張に対する認定は、要件事実の認定を含めて具体的な本件への適用を一切放棄しており、右は、抵抗権の解釈と適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

2  しかし、本件記録を検討し、当審における事実取調べの結果を考慮しても、原判決が、仮に抵抗権の行使が実定法上の罪の違法性を阻却するとの見解に従うとしても、本件当時、抵抗権の行使が認められるような極限的状況の存在しなかつたことは明らかであるとした認定、判断は相当であつて、所論は独自の見解にすぎないから、とうてい採用することができない。論旨は、理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新谷一信 裁判官 上田幹夫 裁判官 阿部文洋)

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